ステキっていいね

日々

ステキなことを映えさせるために

人生ステキなことばかり。もしそうした人生ならバラ色に輝いているんだろうなぁ、なんて思えば思うほど、そうでないことの影がくっきりはっきりするね。バラ色って何色かよくわからないけど、ステキなことにスポットライトを当てて、映えるようにしちゃうと、そこ以外が真っ暗闇になってしまう。そういう漆黒の影を誰が作っているのかといえば、映えのためにわざわざ強調したあなた。そうして嫌なことが当たり前のようにそこかしこに出来上がる。自分でそうしたことなどすぐに忘れて、ちょっと最近嫌なことが多くなってきてない?と周りの人に八つ当たりしたりする。嫌なことを作ったのは紛れもなくあなたなのに。

嫌なのに注目する

ステキなことを際立たせるためには、さらにそこばっかりに光を当ててしまうと、どんどんそうじゃない部分が増えてしまうね。ステキなことに囲まれようとするから、そうしてできた嫌なことに敏感になってしまう。嫌なことや許せないことなんて放っておけばいいのに、どうしても注目してしまうのはそういう仕組みだね。嫌なことだから見ないフリをしているけれど、心の中ではセンサーをフル回転しながら嫌なことにフォーカスを当て続けている。ステキなことだけを見たいがためにね。まぁ、ステキなことにスポット当てるんだから、ある意味必然なことになるね。

何をステキに思うか

もともと、ステキなことは各々が感じる小さな喜びだったわけ。だからそれぞれが好き勝手に小さく楽しめばいいもの。だけど、あなたのステキなことはいいねの数で測られる。だから他のみんなと同じものでないといけないとなったとき、さらに嫌なことの闇が深くなってしまうね。だんだん思っていたことからずれていってしまう。ステキなことに囲まれたいという小さな願いが、嫌なことの闇を葬り去るための大義名分となっていつしか重くのしかかってくる。こうなってくるともう何をしたいのか自分でもよくわからなくなってしまうんだよね。でもそれも元を辿っていけば、わざわざあなたがそうしたんだよね。それに気づくと「なーんだ、そういうことか」と自分の小さな思いとは違う、ステキなことを探し始める。

ステキっていいね

そう、ステキなことと思っていたその小さな幸せは、実は単なる刺激の一つにすぎなかった。体験ではなく情報として日々大量にやってくる、いろんな単なる刺激に対して、ステキだの嫌だのと反応しているだけだから世の中のトレンドは目まぐるしく変化しているね。バーっと盛り上がってさっとなくなる。まるで大荒れの海辺のような日々。え、もうこれはトレンド外なの?もう古いの?なんて日々。それを追いかけるだけで精一杯。あれもこれもステキなことだよという顔をして近づいてくるけれど、気がつけばもうどこにもいなかったりする。ステキなことはもともと自分だけの密やかで小さな願いだったんだよね。そうやって振り回されるのがステキなことだったっけ?あ、それもあなたがそうしたことなんだけどね。