言い訳がない

日々

夢の欲望

あなたは、ようやく手にしたそれらを持て余すぐらい抱え込んで、それをずっと離すまいと握りしめている。だから毎日が書き換わらないわけだ。やっとの思いで手にしたそれらは、あなたが望んでやまないものばかりであるはずなのに、手に入れればいれるほどなぜか辛い毎日に変わってしまっている。だから、それをなんとかしようとまた足りない何かを探し出しては、それを手にするための努力を続けることになる。そしてようやく手にしたというのに、なぜか望んでいた幸せな日々ではなく、もっと足りない何かが同時に生まれてしまうことを繰り返しているね。そう、もうすでになんとなく気がついているかもしれないけれども、それは全く逆のことを一所懸命にやり続けているわけだ。そうやって気がつけば、手にするものが多ければ多いほどそれらに縛られて身動きがとれなくなって、思っていたのと違うとまたそれを解消するなにかを探しているだけの人生となっている。

手放し

一旦抱え込むだけ抱え込んで、それを手放してみるとわかるのは、それらを手放すときの執着心はその瞬間に最大になる。けれども、それは逆に言えば手が空くことで自由にもなれるわけだ。その状態はあなたを俯瞰して見る視座からは、プラスマイナスゼロだね。何かをつかめば他のものはつかめず、その持っているものを手放せば、可能性を手にする。さらには手放すことでそうでなければならないという執着から開放され、心は穏やかで自由になる瞬間がそこにあるわけだ。ようやく手にしたそれらを、ぱっと手放す勇気さえあれば、あなたはいつでもまた違うものを捕まえられるわけだ。そこであなたは考える。それまでものが実は最高のなにかであって、新しく捕まえられるとしてもそれはそれよりも劣っていたらどうしようとね。だから、なかなか手にしたそれらを捨てることができないままでいることで、どんどん一人だけ置いてけぼりになってしまうわけだね。

後ろ向き

新たなそれらは、あなたを悩ませるものに違いない。酸っぱいブドウのイソップ物語のようなものに囚われて眼の前に流れる桃を捕まえられないままでいる。過去に囚われて未来を捨ててしまうようなことが続くと浮かない顔になるのも無理はない。ブドウを見つけたら食べてみればいいし、桃が流れてくれば捕まえればいいだけのことだ。そして、それはまさにその通りであったとしても、やっぱりそうか、と笑って過ごせばいいだけのことなんだ。ところが、幸せであることにこだわるあまりに、そういった自然の流れに身を任せられず、ただただ身をすくめて何もできないままでいるから辛い日々となるわけだね。そこでまた今度は自分自身にこれが最適解であり、一番の幸せものだと言い聞かせてごまかしているわけだ。一番種明かしを知っている手品師が自らを騙すようなもので、なんとも言えない気分になるのは無理もない。だから、酸っぱいブドウのキツネのように誰かを揶揄したり中傷することしかできないわけだね。