内なる心を照らす灯火

日々

見た目

見た目にこだわる人は、基本的に内面では何かに怯えているからだね。カッコ悪いと言われることに必要以上に恐れを抱いているからだ。見た目が質素でなんの装飾もない人は、そういう外部的な比較にとらわれてはいない。だから見た目が怖そうだとか、派手な人ほど、実は弱さを隠していると言っていいだろう。誰かと比較して、誰かの基準に依存しているわけだからね。そうではなく、自分自身が基準となって世の中を見ている人にすでに大差をつけられている。流行りすたりに右往左往することもなく、内なる声に従って生きているわけだから、特に着飾ったり、見た目なんていうものを超越している。今どきの言葉で言えば、外にいる敵と戦うのではなく、内なる己を見つめてそれに負けない生き方とも言える。そう、他人の評価や印象ばかりに基準を合わせるが故に、自らの本心を見失ってしまっている状態だね。

時間がない

そんな誰かと比べる余裕もないから、見た目にこだわっている時間もない人もいるだろう。それも実は時間がないという言い訳を準備することで、本当のところは着飾ったりしたいということになる。だから、それも実は表面的には質素であっても、実のところ誰かの比較を基準として、大いに気にしていることと同じだ。結局のところ、そういううまい口実を上手に使いこなすことで、自らに向けられる批判を回避しているだけのことだからね。そうではなく、あなたに時間や余裕は十分に確保されているのが本当のところだ。でも、やっぱり批判を恐れているからそう言い訳をしているわけなんだ。いずれにせよ、誰かが基準となってしまえば、あなたの心は内側には向けられないことに注意しよう。そのままでは、あなたはあなたの人生を生きることを閉ざされてしまうからね。

己の灯火

自らの内なる光によって、あなたを照らすことであなたは外側の基準を必要としなくなる。それがよく言われる言葉である、誰かと比べるのをやめて内なる光で世界を照らすということだ。そうすれば、本来のあなたに戻ることができる。あなたはあなたの心の声に従って、なんら恐れや不安もなく突き進むことができるだろうし、誰かから向けられる批判や揶揄を跳ね飛ばしていくだろう。そういう呪詛を受け入れる隙がないからだね。そしてあなたがもともと持っている強かさを十分に発揮でき、迷いが生じる場合は、自らの灯火が消えかかってしまうときだけになる。本来のあなたは幸せに満ちあふれており、多少の動乱をも乗り越えていく力をすでに備えているわけだ。その力をうまく使えない原因は、もうすでに気がついている。誰かの中にしかあなたが投影されていないのならば、まずはあなた自身を自らの灯火で照らしてあげると世界が一変するのはそういうわけだ。