最期の一片

日々

最期の望み

なにもかも思い通りにいかないこの世を去るときに、最期に何を望むだろう。逆に言えばすべてが仮にあなたの思う通りになったとしても、やっぱりあなたは不満を抱えているのではないかな。それこそが人生そのものであるわけだし、そうやって荒波を乗り越えてきてここにいること自体が奇跡に近いね。だからどうだろう。もう思い残すこともなく静かに佇んでいられるだろうか。もっともっとと不足ばかりに注目してきた人生を振り返ったときに、最期に何を思うのか。それは今すぐにでもそうなることもあるし、ずっと先になるかもしれない。予測はできないその最期をいつも意識することで、あなたはいつでも生まれ変わり続けている。しかしながらなぜかそれはいつもはすっかり忘れて過ごしているから、不平不満が募るだけの毎日だと思いこんでいるわけだ。

価値観

みんなそれぞれの人生をそれぞれに過ごしている。好きなことをやり続けた結果、大成功を収めた人も目に付くだろうし、ぼんやりと生きている人を見て苛ついたりしているだろう。それでも人それぞれだと言い聞かせながら、ならあなたはどう生きるのかという問いに対しては何も明確な答えは出ないままだね。それ故にあなたは、いい感じに生きている彼らには嫉妬をの感情を抱き、あなたより苦労をして過ごしている人に優しくしてあげられない。すべてはあなたが決めたことであり、あなたの世界での話には違いない。そんなことをずっと続けているから、あなた自身は本当の意味での幸せを感じられずにそうなっている。よく言われるように、それらはあなたそのものでありまるで写し鏡のようなものだ。逆を言えば、あなたが知る周りの人たちの幸せを心から応援して、それが叶うことが自分ごとのように喜べるとき、あなたが一番幸せなんだと知ることになるだろう。

世の理

最期に思い残すことはゼロではないことは、今あなたがゼロになっていないことでもわかる。あなたがこれまで見てきた風景はあなたのために描かれたものだ。大きな人生という絵を俯瞰することなく、その一部分の批評をずっとしてきただけのことだ。ここはいい感じだとか、ここは悪い感じだとかね。それが全体のほんの一部であるにもかかわらず、あなたにとってはそれがまるですべてかのように見てきた。そういう意味では、あなたはこれまで何一つ理解したことなどないわけだ。まるでジグソーパズルのピース一つ一つを批評しているようなものだからね。それが組み合わさってすでにできているのがあなたという一枚の絵になっていることを、いつ気がつくかですべては大きく変わるのはそのせいだね。今すぐでも可能なのはそういうわけだ。さて、今日の一コマについて、なにか感想があるとしたらあなたはなんと答えるだろう。いい日だったと思えるのか、最悪な日だったと思えるのか、特段代わり映えのないいつもと同じ日だったのか。それもほんのかけらでしかないわけだけれどもね。