その幸せのために

日々

自己都合

あなたが不幸になる原因はただ一つ、自己都合ですべてを動かそうとしてしまうからだ。幸せになりたいとか、あんなやつには負けたくないとか、もっとあなたは評価されるべきだとか、そういう感情があなたを支配し続けているからそうなるわけだね。考えてみればとてもシンプルでなんら困難でも苦難でもない問題だとも言える。あなたの友人はとても優れていて、ルックスも良いから、その親友としてあなたもそれにあやかって君臨しようとか、お金持ちの知り合いがいたら、その関係をできるだけ長く続けてあわよくば、いざとなったときに助けてもらえるだろうとか、そういうものだ。仏教でも徳を積めば救われるのだから、自分のことよりもその関係性を維持するためにあなたのプライドや理想さえも捻じ曲げて、お気に入りの存在を続けようとする。そんなものがうまくいくはずもなく、そうなったら裏切られたとかで呪いの言葉に変わるわけだ。もう、何をやっているんだか、という状態であるね。

自分を捨てる

それで、自我をなんとか捨てなければならないと誰かに教わったところでも、結局のところ同じことの繰り返しだろう。なぜなら自我を捨てれば幸せになれると信じて、滅私奉公をすれば救われると思っているからだ。そんな打算的な信心で何かがどうなるわけでもないことは冷静になればわかるだろう。結局のところ、自我丸出しのときと何ら変わりはない。とにかく自己都合で幸せになりたいというそもそもおかしな希望が人生を滅茶苦茶にしているのだからね。あなたにとっての幸せとは主観的なものでしかないわけだ。すなわち、そのために誰かが不幸になろうともそれは致し方がないと諦めている。そうではなく、あなたが一番あなたの仕様がわかっているのであれば、あなたが周りをいかに幸せにできるかという命題だけが残るだけなんだ。したがって自己都合の幸せなんていうのは全く持っての幻想であり勘違いだと言っていい。そうではなく、あなたができることはただただ打算的な駆け引きではなく、真っ直ぐなあなたを支えてくれている幸せだけを求めるだけになる。

おすそ分け

幸せは本来与える中にしかなく、もらうものではない。でもあなたは何かを得ることができると幸せになると思っている。それは資本主義社会がそう洗脳しているからだね。原っぱで路傍の草をみつけて喜んでいるような遊びよりも、年パスを買ってテーマパークに通うほうが幸せだと信じさせられている。特に興味もないくせに、高級ホテルでごちそうディナーを食べることが成功者で幸せの証だと信じている。だから結局のところあなたの幸せは誰かに押し付けられた虚構でしかないわけだ。お金もちになれば幸せとか、有名人になれば幸せとか、肩書がつけば幸せとか、そういう豊かさもせいぜい数十年で終わる。最期の最期には何もなくなって虚しさだけが残るだけだね。もちろんお陰で豪華なお別れ会や葬儀が執り行われるかもしれないし、歴史の教科書に残るかもしれないけれども、そんなものはあなたがなんとかできるものではない。もっと言えば宇宙が藻屑となってしまえば人類の叡智すらも危うくなるわけだ。あなたは一体何を求めているのだろうね。