折れない柱

日々

向かい風

順風満帆に進んでいる時は幸せだと思っている。しかしながらまさにそういう状況にあったとき、あなたはそれが幸せだということすら気がつかないことが多い。それどころか、なんてつまらない毎日なんだと不平不満を感じていたりする。ところが状況が一変して、向かい風の中に身をおいたとき、これまでがいかに平穏だったのかということに初めて気がつくわけだ。だから、今は本当にあなたの感じている通りなのかどうなのかも実はかなり怪しいね。そう、不思議なことに良かったか悪かったかなんていうのはそれを捉え直したときにしか判定がつかないわけだね。いわば競技中や試合中と同じで、その瞬間は勝ち負けなんてわからない。終わってから勝敗が決まるようなものだ。だからスポーツは面白いなんていわれることが多い。だから試合終了のその時まで気を抜くことができないし、結果は終わってみないと誰にもわからないとなると、あなたが日頃感じているそれらの判断は果たして正しいのだろうか。

棄権

だから、いつもそうやって早まった判断によって、途中離脱することも多いわけだ。まだ何も決着も結論もでないまま、どうせ負けるに決まっていると決めつけてしまうからだ。すべては途中経過であり、現時点で有利か不利かを仮判定しているだけなのにね。終わるまで何も、誰にもわからないことをわかったふりをしてしまうわけだ。そうやって、また不幸だったとかついてなかったとか一人勝手に思い込んでいる。あなたの幸せや不幸もそうやって生まれているだけだとすれば、その中途半端な判断に右往左往しているようなものだ。少しだけ外側からあなた自身を見てみると、すぐに気がつくような些細なことを大げさなことに膨らませてしまっているのは、他でもないあなた自身だね。あなたが諦めたらそこで試合終了だ、なんていうセリフはよく知られているようだけれども、それは決着なんて実はあなたの中にしかないということを示唆しているわけだね。

柔軟さ

あなたにはやりたいことがあるだろうし、行きたい方向があるだろう。それはあなたの信念であり、生きる意味そのものでもあるには間違いない。ところがそれを達成するがためにしている努力の方向が間違っていると、いつまで経っても向かう方向すら危うくなってしまう。そうではなく、あなたがその向かい風であろうともその力を上手にいなすことで、逆風もなんの意味もなく消えてしまう。そうがっしりと丈夫にすることだけを頑張ってしまうと、順風を待つには最適だろうけれども、それと同時に風向きが変わった瞬間には違う方向へ進んでいくのは避けられないわけだね。そうではなく、ある程度しなやかにしておけば、順風のときにも少し進むし、逆風のときにも大きく方向を外さないようにもできる。だから必ずしも一本筋を通した強固な信念があなたの夢と希望を叶えるわけではなく、実はしなやかに向きを変えるぐらいがちょうどいいわけだ。結局のところ、何事も過ぎたるは及ばざるが如しだね。