抽象論と概念

日々

良かれと思って

あなたはどちらかというとこちらのほうがいいと思って、そのためにある意味自己犠牲を厭わず、本音の部分でそれを実現するために色々と考えてきたわけだ。そうした苦労は殆どの場合報われることはなく、思わぬ方向へと物事は展開していく。それはまるであなたが世間から嫌われてしまったかのように見えるだろう。その時点で実は大きな罠にとらわれてしまっていることに気づくだろうか。あなたの良い悪いは、誰かにとってはどうでもいいことなんだ。よく考えてみれば当然のことで、あなたは絶対的な何者ではないのだからね。正しさを振りかざせば、十人十色のそれらがあって当然だ。同じように見えて微妙に異なっている部分が必ず存在するわけだ。けれども、大まかに分類すればほぼ同じことだとくくってしまうことで、微妙な差異を無視してしまうことになる。ほぼほぼ共感が取れていると思っていても、それがうまくいかなくなるのもいわば当然のことだね。

状態変化

そうして、多様な価値観や考え方に触れることであなたも例外なく少しずつ変化していくわけだ。そうなると一貫性みたいなものが、そこでは保ちきれなくなって大まかな分類の枠から少しずつ外れていく。それをあなた自身が受け入れきれないままで一旦はごまかそうとするわけだ。けれども、少しずつ形あるものが変化していく流れは、いわば自然のことなので抗いようがないのも事実だね。そこである一定の枠組みの中であったあなたが、全く違うものに変わってしまったとしたらもはやあなたが思うあなたではなくなって、拠り所を見失ってしまうわけだ。一方で自然界に目をやると、水はずっと水のままではなく、太陽に熱せられて水蒸気となって雲として大気中に漂い、やがてそれらが水滴となって雨になって地上に降り注ぐ。それらがさらに川になって流れやがては海の一部となる。そうやって状態が常に変化することを再確認できるだろう。一方であなたはどうだろうか。

多様性

人間は社会的動物として生きるわけだから、多少の個性や差異があるもののある一定の共通項が存在するはずだと思っている。それをルール化したものが法律だろうし、それを暗黙知にしたのが共感による道徳や倫理というものになり、それらが合わさって文化や風土を形成しているわけだ。大まかには誰かの邪魔はしないほうがいいとか、自らの幸せは好き勝手に追求すればいいとか、これまでの人類史の反省をも踏まえたものとなる。そうした共通項の中であっても、微妙にその差異を調整して、なんとか折合いをつけられることができれば、少しばかり幸せにいられる時間が長くなるね。この場合の幸せは、あなたがやりたいようにやってもそれが阻害されずに受け止めてくれているような状況だ。幸せにはいろんなかたちがあり、あるいはかたちすら見えないものでもある概念を表す言葉だ。それはあるように思えて実はどこにもないそれを生み出す言葉で、それらを駆使して差異を吸収しようとしているわけだね。