炎上コンサルタント

色々

間違っているから叩く

誰かが勇気を出して何らかの意見を言う。それを小利口な人たちは寄ってたかって間違いや不十分であることを指摘する。小利口な人は後出しジャンケンのようなもの。だからじっくり考えて後から後から不十分な部分を叩くことができる。そこに叩かれている様子だけを見にくる人が集まるね。そういう人は議論の本質よりも炎上騒ぎが楽しいだけ。だから中身よりも違う部分で攻撃をし始める。さて、この様子をあなたはどう思うか。どっちが正しいかを判断するジャッジマン。神様のように高座から見渡してゆっくり判断することができるね。高みの見物ってわけね。論理的な思考を心がけているあなたは、小利口な人の見方に概ね同意するんじゃないかな。ちょっと勇足だったとか、表現が稚拙だったとか、結論の論理的な詰めが甘いだとか、見解が一方向に過ぎないとか。そういう批判の目にさらされる様子をビクビクしながらも、人ごとなのでちょっと愉快にその様子を見ているね。

対案を出せ

対案がないなら批評してはいけないと言う。まぁ、反対するならその根拠とその先の展望を同時に述べなさいってやつ。なんとなく違うなっていうちょっとした違和感を述べる意見は取るに足りない。そういうのならどうするか具体的に示せとね。これもまた脅しになって、小利口なバランス感覚を持っているあなたは、ん?という違和感があったとしても飲み込んで黙っている。でも同意はしていないよね。だから叩かれないように黙っているけれど違和感だけは隠し持っている状態。もし何か形勢が逆転することがあれば、その時は反逆してやろうとそのチャンスを虎視眈々と狙っている。はてさて、そんなやりとりの中で何が生まれるのかな。

小利口なスナイパー

論理的な思考やバランス感覚や視座の多様性などを兼ね備えている小利口な人の行く末は、不十分な論者をいつも探しているだけになってしまう。思い切って飛び込んで批判覚悟で議論や考えを止めないということは、計算すればするほど損ということがわかっているからね。リスク計算ってやつだね。銃弾が飛び交う戦場に丸腰で飛び出すようなことをしでかすなんてあり得ないね。とかく世間は世知辛いものだよと涼しい顔で語るだけの人になる。ちょっと試しにやってみようかなんていう発想は微塵にも生まれないよね。ああ、またどこかの誰かが一斉攻撃受けているぜ。ちょっと面白うそうだから観に行こうぜと小利口な仲間を誘って物見遊山にでかけることが至福のときとなる。高台の物陰に陣取ってライフルで狙うスナイパーみたいなものだね。

リスク計算のプロ

実際には戦場へ行く勇気なんてないんだけど、いつも誰かを身代わりにして戦っている。本当の自分は安全な場所に隠れてね。代理戦争とかいう言葉もあるけれど、その根底には誰かに勝ちたい、俺は正しい、だから認めろと常々そう思って過ごしている。気がついたら自分の手で何かを動かしたことすらなかったりする。ずっとこれまで自分の身は常に安全な場所に隠し続けてきたからね。小利口な人の行く末は批判ばかりに覆われて、人の顔色に乗っ取られてしまっている。いやいやそれこそが社会に生きる本質だとあなたは言うけれど、本当にそれで心から楽しめたのかを知っているのもあなたしかいないよね。ほら、飛び交う銃弾も当たってみないとどれほどの致命傷になるのかもわからないままになってしまうよ。ほれほれ、小利口なあなたは一度は当たってみたいと思っているんじゃないのかな?その計算結果から、一歩踏み出すだけですべてがわかるんだけどね。そんなことはこれまでのシミュレーションでは百戦錬磨のプロなんだから言われなくても知っているよね。