今暇?

日々

今を生きる

今を感じることで、過去も未来も明確になる。過去ばかりに囚われてしまうと過去を今のように錯覚をして混乱することになるだろう。または、未来の不安ばかりに苛まれてしまうと今を忘れてずっとその状態を続けてしまうだろう。今を明確にすることが、過去も未来もあなたがコントロールすることができるわけだ。ちょっと何を言っているのかよくわからないという人のために補足してみると、要するに今を起点にそれ以前とそれ以降に分けることが初めて可能になるからだ。なら、過去ばかりに囚われているということはどういう状況かと言うと、あなたは今から一歩も動けないわけだから、今を過去として捉え続けていることになる。今を今として見ているわけではなく、今を過去という妄想で支配しているようなものだね。未来に苛まれているのも同じことだ。今はなんともないのにやがて予期せず起こると思い込んでいる不安を今にリアルに感じようとしていることに過ぎないわけだ。本当に今、災難だとすればそんなことすらやっている暇などないというのにね。

暇な今

要するにとっても安全地帯である今にいるからこそ、過去を悔やんだり未来を不安に思ったりできるわけだ。もし今がてんやわんやの状況でそんな悠長なことをしている場合ではないだろうし、そんな余裕すらないはずだ。となれば、過去を悔やんだり未来を憂いだりすることは今が幸せだということを証明しているともいいかえることができるね。そう、要するに安全で暇な状況だということを示していることになる。そして、そのときにこそ不思議なことにあなたは一番不幸だとか、ついてないとか、ややもすれば誰かを恨んだり妬んだりしていることになる。そんなやることがない状況で、しかも誰かからみれば安全地帯で幸せに包まれている状況であるにもかかわらず、あなたは浮かない顔をした悲劇の主人公を演じていることになる。結果的には誰からも相手されてないのも無理はないね。それがさらにあなたの不幸演出に拍車をかけるという悪循環が今そこで起こっていることの全てだね。

無心

暇なときほどろくなことがないというのはそういうことだ。そしてあなたがもうだめだとか死にたいとか呟いているとき、実はあなたはあなた自身の妄想に追い込まれているだけなんだ。本来の意味でもう「終わったわ」という状況ではなく、あなたが今それを出現させて暇つぶしをしているだけのことだとも言える。ようするに暇ならぼーっとしておけばいいものの、なかなかぼーっとできるスキルがないからそうなる。ならなぜそれができないかというと、あなたが何かをやらなければならないという強迫観念に支配され続けているからだ。それもまた今あなたがそれを暇だからこそ出現させただけのことで、実はそんなものはどこにもないのは言わずもがなだね。結局のところ今を過去や未来に演出したり、どれだけあなたが苦労してきて不幸自慢をしたり、その結果悲劇の主人公のように不遇の死を遂げるストーリーを生み出したりするのは、結局のところ今とても暇なんだということに尽きるわけだよ。