人生のスパイス

日々

スパイス

ちょっとぐらいの苦味や辛味は、料理全体の味を底上げしてくれるね。それと同じように人生においても少しぐらいのそれらはエッセンスとしていい塩梅に幸福度を増してくれるものだ。ずっと甘いのも飽きるし、ずっと塩っぱいのもだめだ。味変とか言って今では途中で何かを加えたりすることもあるみたいだけれども、そこまでしなくてもほんの少しのそれらは豊かさを格上げしてくれるわけだ。まさにそれは絶妙なバランスであって、強すぎても弱すぎても効果が薄れてしまう。その絶妙なバランスを保つために試行錯誤しているようなものだ。だから、ずっと同じ状況が続くのが幸せでもなく、安定して安心できているのもいずれ物足りなくなる。少しぐらいの冒険が必要であって、少しの痛みと大いなる結果のちょうどいいところがあなたが望む幸せな日々とも言えるわけだ。しかもそれは一度うまくいったら満足というわけにもいかず、また同じぐらいかそれ以上の傑作をいつも望んでいる状態だね。

失敗の連続

しかもその調合が簡単にできてしまうと、それはそれですぐに飽きてしまうね。もちろん黄金比率みたいなものをそこから発見するわけだけれども、そればっかりに頼っているのもやがてつまらなくなってしまう。成功法則とか間違いないということは、どちらかというと冒険要素が不足しがちになるからだ。ちょっとドキドキ・ハラハラして何度か失敗をして、頃合いのいいときに一瞬だけうまくいくような人生をあなたはずっと求めてやまない。となると、そういったものを求めているわけだから、毎日がバラ色の幸せに満ちあふれてしまっては全ては台無しになってしまうね。だから時には大失敗をやらかして不平不満をぶちまけたり、何度やっても思ったとおりにならずに嘆き悲しんだりしているわけだ。それらだけを切り出して不幸だとかついていないとか人生を呪うような言葉で満ち溢れる瞬間があったとしても、それも含めての求める幸せの構成要因であることには間違いない。すなわち、それらは必ず必要となる部品を揃えているだけのことでしかないわけだ。

固執

もしその瞬間でさえ本心から忌み嫌うのであれば、答えはシンプルだ。ずっと続く単調さを許容すればいいだけのことだからね。ずっと甘いとかずっと辛いとかをなんとも思わないようにすればいい。冒険とか試行錯誤もやめて思考停止さえすれば、何も感じないままずっと過ごせるだろう。でもそれが困難なことはすぐに気がつくね。あなたはそれを心から望んでいるわけではないからだ。手放すとか悟るとかそういう状況を得ようとする時点で、それ自体が自己矛盾をはらんでいるのもわかるだろう。何も望まないというのは、生まれてきた役割を放棄するのと同じことだからね。そうではなく、苦難や幸せをひっくるめてのあなたなんだから、なんのことはない、今のままですべてが叶っているわけだし、なんの矛盾も不足もない。だからそのまんまでいいとか、ありのまんまでいいという結論になる。苦難も不満もそれを楽しむために自らがわざわざ生み出したスパイスなんだからね。