今しかできないこと

日々

最終宣告

もしあなたが余命短く、すぐに終わりが訪れるとしたら日々はどう変化するだろう。おそらくは、その一日一日がすべて奇跡に思えるだろうし、すべての何気ないことに感謝の念すら湧き上がってくるだろう。そりゃそうだね。もしかしたら二度と体験することができないことなんだからね。ところが、それをガン無視して暮らしているのが今のあなただ。もしかしたら二度と体験できないことに囲まれているにもかかわらず、あなたはそれを軽く見てしまっている。ややもすれば、それに不平不満を感じて、二度とごめんだと思っていることが多いだろう。それは次はもっといいことがあると根拠のない予測で、今を蔑ろにしているからだ。このように、あなたの置かれた状況において何気なくできていることに対して、何を思うかが大きく変わるわけだ。だからこそ現実は対して変化がないかもしれないけれども、それを受け止める側の視点で世界は一変するわけだ。

コスパとタイパ

できるだけ無駄のない日々を送ろうと、コスパやタイパばかりを気にしているような時代だね。そんな無駄なことしている暇はないというのはある意味、無意識的にも明日も必ず同じように来るとは限らないという切迫感からかもしれない。けれどもよく観察してみると、そんなことよりも、合理的なものをまさに人生を賭けて追求することそのものに特別な意味を与えているわけだ。そうやって早回しで体験することが、限られた資源においては良いことだと信じている。もちろん、人生に密度という概念があるのならば、同じ限られた時間や資源の中で、最高の体験を積み重ねていくことは間違ってはいない。ところが、何事も過ぎたるは及ばざるが如しであって、そればかりが目的になってしまうとかけがえのない一つ一つの体験を味わい尽くせないという矛盾がそこに生まれてしまうわけだ。質より量だと言わんばかりに、人生を倍速モードで駆け抜けたとしても最終的にあなたが受け止められる量は同じだということに気がついていないだけだね。

無為な時間

あなたが本来この世で一番やりたかったことは、安心してのんびり過ごすことだったりする。だから、大急ぎでその準備をしなければならないと強迫観念にかられてしまっているわけだ。だから、そうやって焦っているわけだけれども、その準備のための時間までもケチってしまっては、のんびり過ごすこともおそらくこの先は無理だろう。一番の合理性を追求するのならば、長生きをせずやることをやって早めに消滅してしまうということになるからだ。そうではなく、のんびり過ごすことを実現するのなら、未来が来ると勝手に思い込んでいるだけで、今しかできないことだね。ちょっと世の中の流れが早すぎると感じたならば、ゆっくりできる時間を今作るほうが実は合理的だね。倍速で映画を見るぐらいなら、のんびりゆったりと何もせずに過ごす時間のほうが、二度とできない体験かもしれない。しかもそれは今やろうと思ったらすぐにでも実現できる夢の一つだ。時々それを思い出してみるのもいいかもしれないよ。