獲物を狙うあなた

日々

良し悪し

いつもあなたは良し悪し判定委員のように、これは良い、これは悪いと意識的にも無意識的にも判別するクセがある。まさにクセであって、それをなんのためにしているかはぶっちゃけよくわかっていない。もちろん論理的に説明しなさいと言われたならば、その瞬間にそのための論理展開を構築することが可能だね。あくまでもそうやって求められたときや、そうなったらどうしようというタイミングで生み出したりしている。逆に言えば、それが求められないときはそんな面倒なことをいちいちやったりはしない。もうそれは良し悪しを超えてシンプルに好き嫌いとそう変わりがない。そこに理由をつけようと思えば特に嫌いなことに関しては瞬時に説明できる準備はあるだろう。一方で好きな理由は探してもそう簡単に見つからなかったりする。もうそれは理屈を超えてそうだからだね。そんな偏りがあるにもかかわらず、あなたは絶対神のように良し悪しを今日も判定し続けているわけだ。

ミスジャッジ

そんなえこひいきな審判であるにもかかわらず、他人が同じようにしていると過剰に反応するわけだ。それは逆に言えばあなたが一番触れられたくないからそうなっているとも言える。そこは心の弱いところなんだと言わんばかりにね。だから彼らに対する攻撃もかなり的を射ているわけだ。ややもすれば暴走しがちで辛辣すぎる傾向にあるね。あなたにとっては身内でも知り合いでもない関係の誰かをそうやってあなたの弱みと同じ部分を見つけることで、あなたではなくて良かったなんて思っている。あるいはそれはやってはいけないと無理して我慢しているあなたからすれば、それが許されるのならばどんなに気軽な人生かと恨みつらみを浴びせることになる。そうやってあなたの憤りを他人にぶつけることでストレスを解消しているようなものだ。いつからそんなことが誰にも簡単にできるようになったかといえば、情報革命と呼ばれるネットに常時接続できるようなスマホが普及してからであることは間違いないね。

浪費

スマホはスマホを司る人たちにとっては麻薬に近いという認識がある。だから我が子には使わせないようにしていたりもするらしい。まだ十分にメタ認知能力が育っていない状態で世間の罵詈雑言を浴びることは生命の危機になることを心配してのことだ。情報化社会で生き残っていくためには、今のところ避けられないアイテムではある。けれども、その取扱は劇薬に近いと言っていいね。タイパやコスパに究極的に優れているスマホは、PCのように起動してネットに接続してブラウザやアプリを開いてようやく接続できるという儀式もなく、常に電源はONであり、ネットワークも常時接続であり、ポケットから取り出せばいつでも瞬時に使えるものだ。それが現代社会において生命活動の時間を占める割合が急激に増えている。電車の中でスマホを見ていない人を探すほうが難しいのもそういうわけだ。そこから繰り広げられる様々な情報があなたを構築し、あなたの一部である時代はすでに到来していると言ってもいいね。良し悪しもそうやって書き換えられていることにも気がづかないようにね。