世間の風

バイク旅

風になる

風一つふかない穏やかな日。こりゃバイクで走るには絶好の環境だね。いい天気でご機嫌に走り出すと風が起こる。速く走れば走るほど風は強くなるね。で、止まると風も止む。そういうありふれた日常を何気なく生きている。風は動くと起こる。これは避けようがないから、バイクなんかで速く走ると風の抵抗だけで実はとっても疲れるから、カウルとか風防をつけたりする。そうすると少々の風が起きても大丈夫になる。おお、風と一体になる瞬間がとっても気持ちいいとなる。これは世紀の大発明だよ。え。そんなことで大発明とは言わないって?でもこれは身を持って誰もが体験できる発明だよ。考えた人すごい。ちょっとした風除けがあるのとないのとでは大違いなんだから。だからといって車のように完全防御しすぎると風になるっていう醍醐味はなくなってしまうね。え?そんな醍醐味なんて興味がないって?ま、たぶんそういう人の方が多いかな。

ちょうどいい風

風と一体化できるちょうどいい速さってあるんだよね。だいたい時速80キロぐらいまでは怖いと感じない。しばらく走っていても風が原因で嫌になったりしない。ま、人にもよるけれどね。自分の足で走る速さが心地よい人もいるし、自転車ぐらいが心地よい人もいるよね。でも、バイクで走ることが好きな自分の中ではそれぐらいが心地良かったりする。時速100キロ超える頃に空気抵抗という言葉を思い出し始めるんだ。それを超えると風の音でかき消されてしまって、他の音が聞こえずらくなる。だからあんまり速く走ると人間の生身の体が受け取る情報はそれほど快適ではなくなってしまうだね。空気が身の回りに常にあるということを普段の生活であまり意識したことがないけれど、こうして走り出すと結構大きな障壁となることを感じるんだよ。え?そんなことぐらい誰でも知ってるって?

いい加減

ちょうどいい、心地よいと感じるところって、行き過ぎでもダメだし足りな過ぎても物足りない。ちょうど自分にあっているところってあるみたいね。もちろんそれは人それぞれで多少の高低があるけれど、もっと速く快適に走りたければそれなりの対策がないと疲れちゃうってことを痛感する。そこから学ぶことは、もしどうしても速く走らなければならないとすれば、それ相応の装備が必要だし、のんびり走るんだったら、あまり気に留めなくても大丈夫だということ。これはやってみてはじめてわかること。そもそもバイクであちこち走ることに興味も関心もなければ、そんなこと思いつくはずもないし必要もないことなんだけど、それを身を持って知るということが幸せなんだな。だって、そのためにあれこれと考えが膨らんでいくからね。まるで世界が小さくなったみたいに感じる。楽しみってちょっとした不便さに対してどう工夫して乗り越えていくかってことだよね。

不安にさせるのは

世の中にふく風は、小さい頃から教え込まれた情報のことだよね。メディアやネットは「こうしないとダメ」という情報の風をいつも起こしている。その風はバイクで走り出すのと同じで、ちょっと動きを早めたり方向を変えたりするだけで強く身に受ける。そっちじゃない、それはダメ、あれもダメ、こうでないと大変なことになるよっていうから、走り出せなくなる。そう、走り出さないようにあらゆる方向から風を吹きつけているんだよ。身動きしないで大きな風除けの後ろにみんなが集まるようにね。そこから少し外れたらそりゃもう大変な暴風が吹き荒れるから、おとなしくしておこうと多くの人は思うよね。そう、走り出すと風は吹く。そして立ち止まると風は止む。それに懲りて二度と走らないの?そうじゃないよね。それでも行ってみたいところがあるなら、小さくても自分で風除けをつけて走り出せばいいんだよ。行ってみたい場所に向かってね。