支え支えられて

日々

支えられている

いつの間にかあなたは、あなた一人の力で生きてきたと勘違いすることが多くなってしまったね。最近は、自己責任なんていう冷たい言葉が流行っているけれども、そうは言ってもあなただけで何かができることなんて、お金という代替手段を使ってようやくなんとかできるぐらいの能力しか持っていないね。簡単な日常品一つもあなたが独創的に生み出すものは少ないだろう。あるものを創意工夫して活用するぐらいがせいぜいのことだ。そうやってあなたが自活するのに必要な能力は、分業という社会の仕組みによってどんどん失われている。もちろんその一方で、すべてを得意な誰かに委ねることで、便利さや豊かさを享受できる社会でもある。ただただあなたができることはその原資であるお金を稼ぐことぐらいでしかない。だからカスハラとか呼ばれる俺は客だぞと勘違いする人が増えてしまったのも事実だ。もはやできることといえば、クレームを言うぐらいしか残されていないということでもあるわけだ。

プライド

自尊心というか自己肯定感は大切だとよく言われている。それはあなた自身の幸せな暮らしを支える根幹部分ではある。しかしながら、だからといってそうするほどの万能の神のようなスキルは誰しも持ち得ない。不得意なことや任せることは任せて、その代わりあなたができることを目一杯することで、お互い様という関係性で成り立っている。だから、誰かと比べて見下したり、自己保身のためのプライドは本来のプライドではないことに気がつくだろう。そうではなく、あなたが歩いていけるように手すりがあるような支援を受けつつ、お互いが幸せになっていくのが相互扶助の世界だね。だからその意味では謙虚で、感謝しかそこにはないはずだ。ところがいつの間にか一人で大きく成長してきて、誰にも迷惑をかけず生きてきたなんて傲慢さが生まれてしまうのは、一体どうしてだろう。かつて乳飲み子だったあなたに溢れんばかりの愛情を注がれていたからこそ、今があるというのにね。

幸せの正体

ここで一つ気がつくのは、あなただけが幸せになろうとしたところで、幸せとは他に支えられて初めて成立するものだということだということだね。誰かを妬んだり、嫉妬したりしている状況では真の幸せは生まれない。誰かの幸せを心から願うことが本来のあなたの幸せでもあるわけだし、あなただけが取り残されて誰かだけが幸せになっていくのもバランスが悪いね。結局のところ、幸せとはあなたが丸裸であって、お互い様ないい関係性がそこにあり、誰かが偉いとか、誰かが劣っているという状況には存在できないということだ。その視点を忘れて、常に生き馬の目を抜くような競争だけの状態では、誰も幸せになんてなれないわけだ。切磋琢磨して互いに助け合い、励まし合ってそれぞれの能力が向上していくのならようやくそこに幸せが見つかるだろう。ところがそれは表面的な偽善で、実はあなただけ幸せを独占しようとした瞬間に、あなたはその資格を失ってしまうことになる。そうならないように気をつけてね。