永遠の瞬間
幸せになるには
あなたがこの世に生まれてきた理由はただ一つ、幸せを感じるためだ。幸せを叫びたくてそこにいる。それなのに、あなたはいつも幸せとは違う感情を抱いているね。でもそれは幸せを感じるための伏線であり、演出だとすればすべては納得がいくだろうか。ほとんどの人は、そういうことだったのか、とはならないだろう。それにしても過剰演出だろうとか、伏線を回収する見込みが薄い出来損ないのストーリーすぎると思うかもしれない。いずれにせよ、それらは幸せの反対が詰まっているからそう思うわけだね。だからにわかには信じられないのはわかる。けれども逆にそれを知らないとなると、あなたは本当の意味で幸せを噛みしめることができるだろうか。まさかここで一発逆転なんてあり得ないよね、奇跡だよね、と思っているときにまさにその奇跡が起こったとしたら、あなたは狂喜で叫ぶことだってあるだろう。それぐらいのことすらその反対側を知らないわけにはそうならないね。
光と影
良いことと悪いことを判定するために、良いことと悪いことを両極に置かないとできない。悪いことをわざわざ生み出さないと、良いことを認識できない。とびっきりの良いことを生み出すためには、とびっきりの悪いことも必要なわけだ。世の中はすべて対称性でできている。それをよく考えてみれば、光と影の関係に似ているね。明るいところの裏側には暗い影ができてしまう。影を消そうと光を強くしたら、その影はさらにくっきりと強調され漆黒の闇となる。影を消すためには、光をもう一つ用意しなければならないわけだね。それでも完全には消えず、結局は光を操ること自体が、同時に影を操ることと同じだということに気がつくわけだ。対称性は知らず知らずのうちに、そのグラデーションを消し去り、明暗という2値で語ってしまう傾向にある。程度を表す階層がたくさんあることを知りつつ、どちらかといえばという大雑把な分類にすべてを当てはめてしまっているわけだ。
感覚
あなたが感じているいろんなことは、すべては知覚の度合いによって大まかに分類されてしまうわけだ。だから、あなたが思っているほど正確ではないことがわかるだろう。なんて素晴らしいことだと思っていても、次の瞬間騙されたと思ったこともあるだろう。なんて不幸なんだと嘆き悲しんだとしても、実はそれはその後の大きな幸せな出来事への伏線だったこともあるだろう。もちろん、そんなドラマティックなことが日々あるわけでもなく、ほとんどは小さな幸せやそのための不幸の連続だろう。特になんてことのない日々を、それほど幸せでも不幸でもないとやり過ごしている。その取るに足らない毎日の方が、人生の試練だと思うほどの苦しみも喜びもないと思い込んでいるのが大いなる勘違いだ。逆に武勇伝になるような激動の喜びの瞬間は、やがて陳腐化していくだろう。そのエピソードも永遠ではないということだ。永遠は実はなんてことのない毎日の方に実はあるんだね。