多勢に無勢

日々

勝ち組は少数派

珍しさや希少性というのは、この世に多くないからそう思う特別な存在。有名人や大スターや特別にかわいいとかかっこいいとかそういうのに憧れるのは少数派だから。ほんの一握りしかいない選ばれし者。なぜか人はそれに憧れて自分も特別な存在になりたいと思いがちだね。一方で多数派ってのはみんなと同じ。特に注目されるようなことは何もないけれど、何気ない暮らしを送っている。生活も才能も特筆事項なし。だけどそれなりに苦労しながらも、小さな幸せもたまに感じながらね。そう、みんなとそれほど変わらないということでなぜか安心する。そして、希有な才能と庶民的な部分を同時に2つ手に入れるとずば抜けて褒め称えられる。あんなステキな人が案外自分と同じ庶民的な部分があるんだって。はてさて、本当のところはどっちを求めているのかな。本音のところ、庶民的な考えを持ちつつ、ずば抜けた才能を兼ね備えるということは、結局は極めて少数派となる「特別な存在」に憧れているということになるね。

もともと身分の高い人

身分が高くて偉い人っていうのは、手の届かない少数派。親の七光とか言われてしまうこともあるね。憧れる存在の多くは、身近でありながら希有な才能や業績を残した人だね。そこに自分を重ねる。私もこういう人になりたいとね。ずば抜けて身分や地位がもともと高い人には親近感を感じにくいから、なんでもなく、取り立てて特別に優れているとかではない一般庶民からの憧れの存在になるどころか、どちらかというと嫉妬の対象になったりもする。身近ではない存在でもともと少数派だから、多数派からは憧れの存在にはなりにくい。ずるい存在。だから多少の功績があっても、なるほどそれだけの人はそれぐらい当然だよねと思ってしまうね。

多数派の負け組の下克上

自分とそれほど変わらない人と思っていたのに、ある日突然世間から注目されてスターになる。今ではインフルエンサーとかになるのかな。私のSNSのフォロワーは数十人ぐらいなのに、いきなり何百万人とかになる。それが夢物語と変わる。もしかしたら私にもワンチャンあるんじゃないかな、なんてなぜか思ったりするし憧れたりするし、そうなるようにあれこれと考え始めるね。どんどん多くのいいねをもらうためには、多くの人が認めてくれるものが必要だから、多くの人の意見に自分を合わせようとする。いつか逆転するためにね。

勝ち組は少なくなければならない

多くの人から共感され、支持される負け組から、選ばれし者、いわゆる勝ち組になるということは矛盾しているみたいね。憧れの勝ち組になるには負け組にもなる必要があるってことかな。一握りの希有な存在である勝ち組に這い上がるためにはまずは負け組から始めないといけない。もし、勝ち組だらけになってしまえば、それはもはや勝ち組とは呼ぶのだろうか。勝ち負けは結局どこにもないってことか。取り立てて何もないということってもしかしたらそのままで勝ち組っていうことでもあるかもよ。となれば、圧倒的多数派にいることに誇りを持ってもいいはずだね。地位も財産も希有な才能もないけれど、人類史上圧倒的な大多数の一人なんだからね。勝ち組だらけになってしまったら、もはや負け組が希有な存在と言えるよね。それこそそのままで選ばれし者になるってことだから。