努力は不要

日々

無駄な努力

日常の毎日を過ごすかのようなぐるぐる回るトラックで、素敵な人があなたの横を通り過ぎた。そこであなたはあの人に追いつこうと追いかけてみる。その気になる素敵な人に追いつくことができると思うからだ。ペースをあげていけば、また出会えるかもと期待に胸を膨らませている。一方で、あなたの横を通り過ぎたその人は、あなたのことが気になってまた出会うにはどうしたらいいのかと考える。そうだ、今よりもう少し速いペースで走り続けると、また出会えるかもとスピードアップする。そうして二人は素敵な人や気になる人に出会いたいがためにお互いにペースアップする。するとどうだろう。お互いのスピードが上がって限界に近づけば近づくほど二人が出会う確率はどんどん低くなってしまう。なんてことだ、お互いがまた出会いたいと思ってやっていることが、かえって二人を遠ざけてしまう結果になってしまうなんてね。

焦りは禁物

果報は寝て待てということわざがあるように、焦って何かをやったところでそれがプラスどころかかえってマイナスになることがある。もちろん何もしないでいいという意味ではないけれども、やれるだけやったならあとは静かにその時を待つのが最善だということだね。あなたのペースで歩いているのならば、そのまま継続すれば良く、急にペースアップしたところで災いごとばかりに巻き込まれることになる。いつもと同じことをやって、いつもと同じ気持ちで前に進めば、必ず良い知らせはやってくるということにその真意がある。そう、普段のあなたはそれだけで完璧であるわけだし、それで十分だということを同時に示唆している。余計な努力は結局のところ良いことよりも悪いことをもたらすのはそういう意味だ。あなたのペースにはあなたのすべてがそこに凝縮されているわけで、それを乱すことはあなたの良さをも破壊してしまう恐れがある。焦りは禁物というのはそういうことだね。

すべては必然

この世に起きることは、思いも寄らないことばかりだ。だから偶然だと感じることがほとんどだね。ところが実は裏を返せば必然だけしか存在し得ないとも言える。それは、あなたがそれを努力だと思っていないかもしれないけれども、あなたが日常を丁寧に過ごすことでどんどん奇跡を引き寄せているからだ。何事も頑張らないとダメだという変なクセは、おそらく幼少期に教え込まれた罠であって、実のところそのままで十分なんだということを隠すためのものなんだ。あなたが得も知れず不安になって焦ってミスを誘発するために、努力をしろ、と叩き込まれたと言ってもいい。実際に物事がスムーズにうまく行っているとき、実はあなたは何もしていないことに気がつくだろうか。もちろん手足は動かしているけれども、特にいつもと違うことを脂汗垂らしながらヒヤヒヤしてやってはいないね。そう、その体験を思い出せば努力をしているときのほうが実はうまくいかないことを知るだろう。