孤独という贅沢
ひとりじゃない
あなたはこれまで孤独と戦ってきただろう。ずっと何をやるにも一人だし、意見もそぐわないことが多かったので孤立状態だった。けれどもあなたがそう思い込んでいただけで、孤立無援な状況など一秒もなかったね。あなたは普段どのくらいの人とすれ違っているかを数えたこともなければ、何気ないコンビニでの買い物のときに対応してくれる店員さんや電車で隣り合う人など気にもとめないだけのことであって、誰とも顔を会わさずに過ごすことのほうがむしろ稀だっただろう。たとえ地方の都市で一人暮らしをしているとしても、現代ではネットもあるしテレビもあるし、遠いけれどもスーパーやコンビニに出かける必要もあるだろう。もしくは宅配ですべて賄っているとしても配達員の人とは触れ合っている。そう、あなたが何気なく過ごすだけでも見える、見えないはともかく多くの人の支えがあってのことであることは間違いない。もちろん、ジャングルの奥底で暮らしていない限りにおいてはね。
協業社会
すべての製品はそれに多くの人が関わって生まれている。自給自足でいわゆる工業製品を使わない生活の方が稀だね。もちろん、そうやって仙人のような暮らしができないわけではない。けれども、その自然の中にでもあなたを支える数々の動植物がそこにいるだろう。そもそもあなたは一人で生まれることすらできないのだからね。連綿としたその関係性の中での孤独なわけだ。もっと言えばこの先どんどん便利になって、ほとんどがアンドロイドのようなロボットがやってくれる世界になったとしても、アンドロイドやロボットを生み出す人は消えることはない。だから、一人でなんとかしてきたという自負は、ほとんどの場合は勘違いというわけだ。だからこそ、あなたは誰かに必要とされ、誰かに守られて大切にされるべき存在であることは間違いないわけだ。そのことに注目するのか、一人であることをことさら強調するのかの違いに過ぎないね。
できること
高度に協業社会となって、知らず知らずのうちに沢山の人に支えられているからこそ、あなたはある意味孤独でいられるとも言える。孤独はあなたにとっての財産だとも言えるね。多くの人があなたの代わりにあなたができないことをしてくれている。そのおかげであなたは一人で暮らすことが容易になっている。顔も名前も知らないから、あなたにとってはいないのと同じだと思っているだけで、仮に親族や親しい友人がその関係者ならば、お礼や感謝の気持ちを持つようになっているだろう。そういう視点でみれば、この世のあらゆることは良い悪いを超えて、まずは感謝でできており、ありがたいことばかりだね。そう思えばあなたは今を生きる人類の一人であることは間違いないわけだし、多くの人に支えられての存在であるには違いない。たとえ原始時代の大自然で狩猟をしているような暮らしであっても、一人で生き残るのはほぼほぼ奇跡だね。そういった運に支えられての今があるとすれば、やっぱりあなただけという状態はそれほど多くないことがわかるね。