人生の本質
回り道
いつも遠回りの道を選んでしまうのは、あなたがあれこれと言い訳を考え出すのが原因だね。まっすぐやりたいことをやりたいだけやればいいだけのことを、いろんな言い訳をそこに付加することで、まるで好きなものを後でとっておくかのように楽しみを増やしてしまうからだ。にわかにはそんなふうにしているなんて言われたところで、信じられないかもしれない。けれども、素直にあなたの心のおもむくままにやればいいだけのことを、そうやって重荷になるように改変しているのは事実だね。どうせやっても失敗してしまうとか、できなかったら格好悪いとかそんなふうに前もってエクスキューズして防衛線を張っているね。でもそもそも誰のためにそれをしているのかというと、あなたの自尊心のためであり、その自尊心とやらも紐解いてみると、結局のところ誰の得にもならないことに過ぎないわけだ。もっと冷たくいえば、あなたのやることを批判する人なんてほんの一握りしかいないわけで、そんな少数派のために膨大な言い訳を考えていることすら無駄なことだと気がつくだろう。
助言
それで、どうにもこうにも踏ん切りがつかないとなると、親しい友人にアドバイスや助言を求めるようになる。もちろんその結果も知ってのことだね。やめておいたほうが良いと言われるとやっぱりそうかとまた次善策を生み出す口実になるわけだ。ところが、それはあなたにとって最善のそれではない。あるいは、それはやってみるべきだよ、応援すると言われたところであなたは逆に不信感の塊となるわけだ。もしかしてあなたが気を許していた友人は、実はあなたが失敗することを虎視眈々と狙っていたのではないかという、これまた無駄な幻にとらわれてしまう。背中を押してほしいと助言を求めたはずなのに、そのとおりに叶ったたとしてもその裏の裏を考えてしまう。なら、やめておけと言われたいがために助言を求めているのと同じだね。どっちなんだいと聞かれたところで、あなたにはその迷い道から脱出する方法がない。それもこれもあなたのちっぽけなプライドがその邪魔をしているだけだというのにね。
プロセスと結果
結果が良くなければ、それに費やしたプロセスはすべて無駄だといつからか信じている。結果主義だという世の中の喧伝にすっかり洗脳されてしまっているからだ。ところが人生には結果はない。もっと言えばいつかは消えてなくなる運命は決まっている。なら人生の価値はどこにあるか。それはプロセス自体でしかないわけだ。結果大金持ちになって終わったとしても、終わりは終わりであなたはそれを楽しむ時間はほんの少しとなる。あるいは大成功を収めて、社会科の教科書に残る偉業を達成したとしても、その喜びもつかの間でしかない。結果なんていうのは本来目標にすべきことではないことがこれでわかるだろう。世間で言う結果主義とは、プロセスの途中のわずかなアウトプットを指すわけだし、それができれば早めにわかるほうが評価しやすいというだけのことだ。すべての結果は消えてなくなるだけであって、そんな結果を追い求める人生はある意味早めに幕を下ろした方が最善となってしまう。よってもっと安心してだらだらしていいしのんびりしていい。その間があなた自身の人生の本質なんだからね。