孤独という幻想

日々

回り続けている

生命活動は、そのエネルギーを生み出す回路によって維持されている。高校の生物で習っただろうことをあなたはうっすらと覚えているだろう。それと同時になんだかその実感がつかめず、丸暗記してテストの点数にようやく変えただけにとどまっている。でもそれは現代の生物学では常識とされ、だからこそその元である食料を体内に取り込むことで生命活動が維持されていることは本能的に合致しただろう。シンプルに何も食べなかったら生きられないだろうという実感がそこにあるね。もっと体感に近づけばどれだけ食べても時間が経てば腹が減る。腹が減るからなにか食料を手に入れないといけない。かつての人類は狩猟をしてそれを手にしたけれども、現代ではお金を稼ぐことでそれを得ることが主だね。そうやってあなたは食べるために働いているわけだ。もっといえば働きたくないと思うことが、そのまま生きてはいけないという構造に支配されているわけだ。

循環

それと類似したことが自然界にはたくさん見つかる。たとえば生命には必須である水は、その状態を温度によって様々な状態へと変化することで地球上を循環しているね。これも中学生の理科で習ったはずだ。温度が高くなれば水蒸気となって気体になり、それが冷やされると液体になるし、もっと冷やせば固体となるね。そうやっていろんな姿でこの地球上で存在していることは知っている。逆にその性質をうまく使うことで、豊かな食生活も実現しているわけだ。あなたの体内の殆どはこの水で維持されているわけで、あなたが極端な高温にも低温にも耐えきれないのは、水の性質の影響でもあるわけだ。もちろん組織を形成するタンパク質もある一定以上の温度になると変性してしまうという影響も看過できないけれども、あなたの活動エネルギーを循環させているのはほとんどはこの水があってのこそであると現代科学では説明されているわけだ。

境界線

それらを踏まえて見えてくるのは、自然界での水の状態とあなたの体の中の水の状態には区切りがあるようでないということだ。ここまでは水でここまでは氷で、ここまでは水蒸気だという水の状態変化を温度によって区切ることはできるけれども、液体である水の状態において、どこからが川でどこからが海で一旦蒸発したそれらが雲となり雨となって大地に降り注ぐ液体となり、あなたの体の中に取り込まれたそれとの境界線を探せば探すほどそれがぼんやりと曖昧であるということに気がつくだろう。となれば自然とあなたは同じだとも言える。その上であなたが生きるためのエネルギーが細胞という小さな部屋の中でぐるぐると回り続けて生み出されているという奇跡が起こっているわけだ。生命とは動的均衡現象だという現代生物学において、あなたは絶妙なるバランスでかろうじてそこにいることを証明している。それが少しでも崩れてしまえばあなたは自然の一部に帰るだけとなる。そういう科学的にもあなたは一人ではないということを知ることができるわけだね。