子羊が目覚めるとき
自己決定
教育の最大の目的は自分で勇気を持って決定する力を身につけることだ。それ以外はその方法論を学ぶに過ぎない。自己決定で必要なものはまずは情報を収集する力だね。その情報をできるだけ認知の歪みを取り払って現状把握に役立てる。そしてそれが未来予測やどうでありたいかというセルフイメージを生み出すわけだね。そのためには文字は読めるほうがいいし、読解力はあったほうがいい。ちょっとした計算もできた方がいいし、芸術や教養も楽しめるぐらいの知見があった方がなお良いわけだ。それらは目的ではなくあくまでも手段であり、その点数の向上だけが教育の終着点ではないのはわかるだろう。ところが現状では、そこまでで留まってしまっている。だからせっかくの道具を揃えたとしても自己決定という勇敢さを兼ね備えることができていないようだ。それはあなたがこの世に生まれてきた真の目的であり、まさに何があっても生き抜く力に必須のことだというのにね。
指示待ち
しかしながらそれはあえてそこでとどめているとも見える。自己決定するだけの叡智と勇敢さを兼ね備えてしまうとなにかと為政者は面倒だからだ。しかしながら民度が低いままで、識字率や理解度が低いままではどんなに説得したところで、結局のところ卑近な損得で動いてしまう本能的な存在となってしまう。かといって、総合的なメタ認知までできるような高度な判断力はある意味邪魔になることも多い。だから小手先で騙せるぐらいの知能がある状態が最適となるわけだ。未だに学歴社会に代表されるような、暗記を頑張ったことでの評価軸しか機能せず、従順な子羊たちを大量に生み出す教育がなくならない。まさにそれが一番だと言わんばかりにそうしている。される側もすっかりそれが優秀さのものさしだと信じて疑わないわけだから、親から子へ伝承されていくのも無理はない。シンプルな世の中をあえて小難しく見せることで、その真実へは近づけさせないのもまさにそういった仕組みの一つだとも言える。
変革
大衆がそのからくりに気づいて、大いなる勇敢さを兼ね備えたとき世の中が大きく変革してきた。その歴史的反省を活かして、できるだけ自己決定する能力だけを削ぎ落とすことが秩序を保つコツだと聡明な一部の人が気がついた。そしてそれを反映した教育制度が導入されたわけだ。まずは上意下達で先生を司令官になぞらえたいわゆる授業スタイルもそうだし、時間通りに区切って授業を構成する時間割も規則正しく動作する訓練だし、決められたことを守ることが善だとする規則もその訓練の一部だね。そしていい子とは命令に従順で、健やかで、自己管理ができ、指示された課題を素早くこなすことができるのが基準としたわけだ。逆に落ちこぼれと呼ばれたかつての不良少年たちは、まさに人を製品のようにそのうちのどれかが欠落しているという意味でそう呼ばれたわけだね。社会的不適合や不良という呼び方自体が、まさに従順な子羊を大量に生み出す社会背景をまさに反映しているわけだね。