夏に溶ける
うだるような暑さ
毎日暑い日が続くね。だって夏だからね。しかし、こう暑い日が続くとちょっと辛いかな。でも知っているよ。今しばらくのことだって。だから暑い暑いと言いながらもそれを楽しむ余裕があるね。暑さをやり過ごす対策もいくつか知っている。日本には季節があるからなんだけど、ずっと暑い南国で暮らしている人にとっては暑いという感覚ってきっと違うのかな。ずっと暑いんだからそれは普通のことなのかな。それでも年中暑い暑いと思っているのかな。それで暑い中でも今日はちょっと暑いとか、昨日よりちょっとましだとか、そんな会話を楽しんでいるのかな。教えて南国の人。
暑いけど楽しむ
やがて涼しくなって、冬がくることをわたしは知っているから、今年の夏は特に暑いねーなどという会話ができる。暑い夏と寒い冬のどっちが好き?暑がり?寒がり?なんて、なんてことない会話自体が小さな幸せ。どっちも知っているからこその楽しみがそこにはあるね。暑いなら暑いで今できることを自然に楽しむ。どうやったら暑さをやわらげることができるかっていう知恵も多少あるし、暑い夏の中にもそれはそれで、夏大好きな人は毎日とっても楽しむことができる。だから暑いこと自体に良い悪いがあるわけではないみたいね。
暑さと寒さのはざま
暑過ぎず、寒過ぎずちょうどいい時期って、ほんの少しだけのように感じるね。ああ、ちょうどいい感じ。とっても快適。毎日こんな快適な感じで過ごせたらいいのにって思う。でも、春も秋も毎年やってくるけれど、もう一瞬でしかないから、思い出としては暑い夏か寒い冬の記憶だけがより強調されてしまう。ちょうどいい記憶ってあまり覚えていないのは、まさにちょうどいいからなんだね。ちょうど良過ぎて意識すらそこには溶け込んでしまうのかな。よく思い出してみないとそれほど印象が強くない。でも確実にそういえばちょうどよかった時期もあったと後で振り返ることができる。
いつも言い訳を探している
とっても暑いとか寒いとかわかりやすいことは、そこに注意が自然と向いている。わかりやすいからね。でも、暑くも寒くもなくとっても快適な時期には、気温とは違うことに思い悩んでいるね。だから年がら年中悩みは尽きない。何かめぼしいものを見つけては文句をずっと言い続けているだけ。なんだか目立つものを叩くというのは人間の性なのかな。今は暑さが目立つから、みんな暑さのせいにしてしまう。いつも言い訳は目立つ何かのせいにする。その時々のわかりやすい災いごとを探しているかのように。そう、ずっとわかりやすい不幸を探し求めているみたいにね。暑い今に楽しみを見つけよう。暑さを避けようとすればするほど暑くてたまらなくなるから、もう自分が夏そのものになってしまえばいいと思うよ。暑さでみんな溶けてしまえー。なんてね。こんなに暑い日はずっとは続かないんだから。楽しむのは今しかないよ。
しかし今日も暑いねー。もうちょっと手加減してくれたらいいのに。なんてね。