正義と悪

日々

間違い

あなたの周りにはとっても心地よい人たちで溢れている一方で、とんでもなく許しがたい存在も見受けられるね。彼らを見ているとあまりにもあなたとは違う価値観でびっくりしているわけだ。そしてあなたとは違う身勝手だと思える存在が許しがたいと感じてしまう。ところが当の本人は自らの正しさを遂行しているだけであり、あなたの怒りとは全く関係のない違う世界を生きているわけだ。もちろんそんな人とうまくいかないことは明白なんだけれども、逆に言えば彼らにとってみれば、あなたも同じ許しがたい存在として認識されているかもしれない。いわばお互い様で、どちらもそれぞれの良心に沿った生き方をしているとも言える。そうは言ってもあなたかすればそんな悪魔の化身のような人を認めるわけにはいかないと譲れないかもしれない。それはそれで良いし、別に無理やり多様性という言葉をもって受け入れなければならないということではないから、あなたがそれを気にしなければいいだけのことだ。

違い

あなたの理想とする生き様は普遍的な正解ではないと自覚することで、あなた以外のことに関しては否定も肯定もしないというのがおそらくは最もベターな態度となるだろう。あなたの正義という名のもとで、悪魔をやっつけたところで、たとえそれがうまくいったとしても、また新たな悪魔が生まれることになるからだ。あなたがあなた以外のそぐわない存在を消し去るという実力行使に出た瞬間、あなたも悪魔になるからだ。となれば、その悪魔はどこにいるのかというと、あなたの中にいることになる。だからこそ、これまでの歴史を振り返ってみても、悪魔が消え去った事実は見当たらないわけだ。そう、かなり衝撃的なことだけれども、あなたが誰かを恨み続けるというのは、実はあなたも悪魔だからこそのことなんだ。そんな悪魔だらけの世の中において、一番それらを増幅したり、ましてや実力行使で存在を消し去ろうとすればするほど、実は真逆の結果になってしまうからね。

清濁併せ呑む

そもそも良いも悪いも二元論で語られることが多いのもその罠の一つだ。すべてのグラデーションをすべて捨象して、完全ニュートラルポジションからすこしでもズレがあるとすぐさまそれを判定しているからだ。そして完全無欠の良きヒーローはそれ自体幻であって実在できないというのに、それを前提としてあなたはあなた以外の別の場所でそれらを審判している。そんなふうにやっているからいつまでたってもあなたの正義は完遂しない。それと同時にそれらを少しでも発動してしまうと、悪が悪を生み出す悪循環に陥ってしまうね。だからあなたが好きなこと嫌いないことはどうしても発生してしまうとすれば、あなたは好きなことに夢中になって嫌いなことを忘れてしまうぐらいがちょうどいいわけだ。そしてあなたがやりたいことに没頭することで、それ以外のことを見ている暇をなくすのが一番の解決方法となる。わざわざカテゴリ分けをしたり、無理やり理解している素振りをすることはかえって分断を強めてしまうから気をつけたほうがいいね。