人生2.0
アンコントローラブル
何かを制御できると思い込むと、途端に思っていたとおりにならないから苦しいことになる。すべては運任せであり、あなたがコントロールできる世界は実は幻のそれだけだ。そんなふうに言ってしまうと身も蓋もないのだけれども事実はそうだから仕方がない。あなたの自我は、あなたが望む道を着実に歩いてきたと認識しているけれども、考えてみればあなたにとって都合がいいとか悪いとかを勝手に判断しているだけに過ぎない。だから良い悪いの絶対的なモノサシも実はあなたがその時々に生み出したものであって、同じ尺度だと言い張っているけれども実はいろんな影響を受けてコロコロ変わっているものでしかない。したがってそんな自我にとらわれている時点で、あなたの不幸は確定しているとも言えるね。モノサシがあるということは、適正の値だけではなく同時にそうではない飛び値も含めざるを得ないからだ。結局のところ自らがそれを定めて、不幸だと嘆いている自作自演のドラマのようなものをあなたは現実だと受け入れているだけのこととなる。
身を任せる
散々それをやり続けて、ついにそれに薄々気がついたときにもうどうにでもなれって投げやりになることがある。そのときが実はモノサシが書き換わるチャンスでもあるね。そうやってアップデートを繰り返してあなたの世界は徐々にではあるけれどもアップデートを繰り返してきた。そして今はバージョンアップして少々ことでうろたえたり動揺することもなくなったわけだ。それを経験値や知見と言っているに過ぎない。でもいつもそこで行われる革新的な変化は、単なるモノサシのメモリを打ち替えているだけのことだ。だから不幸や苦しみも同時に更新されることになり、永遠にそれだけでは不幸がなくなるといった革新は起こらないようにできているね。その数値が変わるだけで、本質は何も変わっていないからだ。そこでそのモノサシ自体をついに捨てることができれば、あなたの世界はまるごと別世界へと移行する。
人生を手放す
それがうまくいけば、モノサシのない世界に到達できる。それを悟りと人々はよんでいるね。モノサシがないということは誰かとか他のものと比べることができない世界だ。それと同時に何が起こるかというと、あなたという自我も消滅してしまう。すなわちあなたがどこにもいなくなってしまう世界だね。それを生まれかわりと呼ぶのか死と言うのかは人それぞれだけれども、あなたという自我は少なくとも存在し得ない。やっぱり何かと比較しないと存在できないことを知ると、またモノサシを生み出すことになり、それをずっと繰り返すことになる。まるでこの世とあの世を行ったり来たりしているようなものだ。夢と現実の間の中でずっとこれまでそうやって揺れ動いてきたわけだ。それをあなたの都合の良いように上手に操ることがあなたにとっての唯一の制御であって、他人をどうこうとか、人生をどうこうとか、そういうコントロールはもともと存在しないことを知っているかどうかが、一番の肝となるわけだよ。