突破力

日々

仮説

正解主義や前例主義、さらには完璧主義から脱出するには仮説を立てて検証することがおすすめだ。なにか厄介事に出くわしたとき、あなたはそれの正解を求めてしまうクセがついている。あるいは先人たちや周りの誰かがどうやってそれをクリアしているかを調べたりする。もちろんそれ自体は悪いことじゃない。けれども、そうやっていわば答えを探すクセは思わぬところに弊害もある。それは答えが出るまで何も行動ができないということだね。いずれにせよ自己決定をしているという意味では同じことのように見えるけれども、その本質はかなり異質なものになっている。答えを探してから行動するのと、仮説を立てて走りながら答えを求めるという姿勢は似ているようで似て非なるものとなる。それはあなたの内側を根拠としているのか、常に外側に求めているのかという点だ。まるで問題集の裏に答えがあるかのように、正解が必ずあるという前提はときにあなたを不幸にすることが多いわけだね。

わくわく

冒険の旅を計画するときは、もちろん用意周到に事前調査をするだろう。そして想定できるリスクに対してできうる限りの対策を講じるね。それらがすべて杞憂に終わったとしてもそれはそれで成功となるわけだし、まさに想定内のトラブルが起こったとしても対処できる準備がある。いずれにせよあなたの思い通りになるということでいうと、あなたはそれで良かったと思うだろう。ところが、そうやって想定内で収まらないことがあるから冒険はわくわくするわけだ。それは一体どういう仕組なんだろうと分解して紐解いていくとそこには、なんだかよくわからないことはあなたが決めていいということだ。あなたが決めたことだから、それに沿ってうまくいくかいかないかわからない。けれどもやるしかない状況に陥ったときにわくわくする感情がそこに生まれるわけだね。そしてそのわくわくは決して不快ではなくむしろ楽しんでいるはずだ。答えを外側に探しているあなたは憂鬱な顔をしているのとまさに真逆の状況だとも言える。

失敗

わくわくしているときには気がついていないかもしれないけれども、殆どの場合はおおよそ失敗の連続であることが多い。いつもなら失敗したら落ち込んだり八つ当たりしたりしているにもかかわらず、自分で仮に決めたことを進めている状況ではそれすらも楽しみに変わっているわけだ。同じ失敗でも随分とその印象と状況が違うわけだね。そしてわくわくしているときは、何度でもやり直すことに面倒な思いなど微塵にも介入できないという特徴がある。すなわち成功しても満面の笑みだろうし、失敗しても笑っていられるだろう。同じ失敗なのにこうも違うことに気がつくだろうか。もっといえばうまくいかないかもしれないという期待でいっぱいの状態がまさにわくわくしている状態とも言える。そう、あなたは失敗を不幸だと思い込んでしまったのは結局のところ正解を誰からから押し付けられたからに過ぎないわけだね。そこに気がつけば本来の柔軟で強かなあなたの本性に戻ることができるというわけだ。