野生児
所有
あなたは何も持っていないと嘆くけれども、そこそこは持っていることに気がつくだろうか。もちろん高額な貯金があるとか、自らの豪邸に住んでいるとか、高級車に乗っているとかそういうことではない。そもそもそんなものを所有したところで、人生の幸せとは全く関係がないね。それを羨ましく思ってくれる人がいるからこそかろうじてそれが良いものだと認識できるぐらいのものでしかない。多すぎる財産は、その取り扱いに困るだろうし、広すぎる部屋は掃除も大変だし光熱費が驚くほどかかるだろうし、高級車といえどもすぐに型落ちになってしまって、その価値はあっという間に減損するだろう。それ故にいつもその情報を気にしなければならないし、さらにはそれをまた買い替えなければならないわけだ。さらには燃料代や維持費も莫大にかかるだろう。そうやって他人に評価されるためのすべてが所有である。所有とは本来人類にとっては不要なものであるからこそ、いつも主張したりアピールする必要が生まれているわけだ。
小さな我が家
到底比べるべくもない小さな部屋で、あなたは安心して過ごしている。そんな部屋でも夜露はしのげるし、多少光熱費がかかるだろうけれどもそこそこ快適に暮らしているわけだ。そういう意味ではあなたも立派な所有者であり、それが賃貸であってもそれを手にしていることが素晴らしい奇跡だね。あなたが暮らすスペースはそれほど広くなくても快適だし、たくさんの貯蓄はなくてもなんとか明日のご飯は準備できている。高級車なんて所有したこともないけれども、他の交通手段で行きたいと思うところにはきちんと移動することができている。これ以上の自由はないのだけれども、あなたはいつかはマイカーを手にして気ままなドライブに出かけたいと思っているね。それも特に毎日ではないのならレンタカーで十分その望みは叶えることができるわけだ。人のものと自分のものと違いは一体どこにあるのかね。
幻
そもそも誰かのものだと主張するには先に述べたように骨が折れることだ。ずっとこれはわたしのものだと言い続けなければならないからだね。でも道端の花は誰のものでもなくきれいに咲き誇っている。誰彼ともなくその美しさを惜しむことなく分け与えてくれているね。紅葉も新緑もすべてが大自然の恵みとして皆が享受できるものだ。これに値段をつけたり、これは誰かのものだと言い張るのは現代の人間だけでしかない。もっと言えば狩猟採集社会では、所有の概念すらなく大自然の恵みと一体化した存在であったわけだ。木の実を採取し、獲物を狩猟し、食べるだけ食べたらそれで良かった。分け与えるという言葉も意味もなく、あなたが自然と一体になってまさにこの星とともに生きていたわけだ。それを見えない線で囲いだしたのがその後の農耕定住生活だね。そこで初めて社会が生まれ、権力や地位が出来上がったわけだ。けれどもそれは本来の人類の姿からは程遠い社会となった。その社会に今生きているからついつい忘れてしまいがちだけれども、あなたは本来は地球に生まれた単なる動物に過ぎない。その一体感を未だに本能として持っている。だからうまく社会と折り合うのと、本来の自然の一部であるあなたをうまく使い分けるといいかもしれないね。