正解の先へ
正解
かつては、正解が貴重な存在であり価値あるものであった。そしてそれらは社会の進歩や技術革新とともに人々の暮らしが豊かになる魔法の小槌だったわけだ。三種の神器などと呼ばれた白物家電が登場し、世の中の暮らしが一気に時短になったようにね。今ではどうだろう、冷蔵庫や洗濯機を持っていない人を探す方が大変だろう。もちろんそれがどれだけ高性能のものだとか、旧式だとかという差異はある。でも今でもなお川で洗濯している人はこの国では見つけるのは難しいだろう。そうやって豊かさが正解であり、それをもたらすための暮らしが良いことだとされてきたわけだ。ところがどうやらそういう時代は過ぎ去りつつあって、あえて苦労したりそれこそ原点に戻る体験が貴重な時代となってきたね。わざわざ便利な暮らしから離れて、キャンプ場へお金と時間と労力をかけて足を運んだり、不便さや便利になる一歩手前の経験をわざわざすることがかえって贅沢で豊かな時間となってきているわけだ。
稼ぎ
そういう暮らしは見渡す限りにおいて、あなたが生み出したものはほとんどなく、すべては企業が生産したモノやサービスで成り立っている。それらをあなたは賃金を得る仕事をすることで手にすることができるわけだ。だから多少気乗りのしない仕事に毎日むかい、わずかながらもその原資を稼いでいるわけだね。そういうあなたの働きも結局のところ誰かを豊かにする行為であり、まさにお互い様の状態となっている。社会の本質は高度な分業であり、それぞれの得意分野があるから様々なモノやサービスが存在しているわけだ。気がつけばあなただけのモノなんていうのはどこにもなく、すべては製品化された商品を選ぶことぐらいしかできることがなくなっている。それはまさに与えられたモノの中での暮らしという限定的な可能性しか見当たらない。そこで勘の良い人はまだないモノやサービスを見つけることができ、新たな企業を立ち上げることができるだろう。
問い
正解に溢れると、正解の価値が相対的に低くなっていく。そうするとこれまでとは逆転して、わざわざ問いに戻るということが希少性を帯びてくる。なぜそういう便利で豊かな世界を好むようになったのか。どうしてこうも似たような製品ばかりに囲まれてしまったのか。本当の幸せとは一体どういうことなのか。改めてそういう問いを生み出すことが現代においては価値が最も高くなってきた。便利さばかりを求めると、それは安くて壊れにくくて高性能といった正解がすでにそこにある。ところが、豊かさを再発明することで、ちょっと古ぼけて不便でそれほど性能が高くないものが人気になったりする。今後価値観がひっくり返る世の中のおいて、何があっても生き残っていけるスキルは、自らその問いを見出すことができる能力だと言われる所以であるわけだ。もはや正解はあふれるほど存在しているわけで、あえてその意味を再認識できるかどうか。それにはこの世界から一歩抜け出した視点が必要となっていくだろうね。