自分を認めるとは
嫉妬心
誰かが大成功したら、あなたはなぜかとても惨めに感じている。それ自体は喜ばしいことなのに、あなたはそれを素直に喜べないのはなぜだろうね。そりゃあなたがそうなりたいという嫉妬心からだ。でもそれだけだろうか。冷静に見れば誰かの成功は巡り巡ってあなたにもその効果を享受するかもしれないし、そうでなかったとしても特にあなたにとっては何ら影響もないだろう。ということは、誰かが成功したにせよ、うまくいかなかったにせよ、あなたにとってはどうってことのないことだ。それなのに、何故かあなたはそれに対して過敏になって反応しているわけだ。それもいい方向ではなく素直に喜べない感情に支配されてしまっている。あなたが強くそう思ってしまうことで、あなたは何もかも必ずうまくいかないようになる。だってあなたがうまくいかない自分をそこで明確に望んでしまっているのだからね。うまくいかないあなたが、誰かの大成功を嫉妬しているという思いがますます現実となって叶ってしまうわけだよ。
自己肯定感
あなたを認めてあげられることができるのは、他の誰でもないあなただけにしかできないことだ。あなたが思う何らかの感情は常に主語が抜け落ちていることに気がつくだろうか。羨ましいとか失敗したらいいのにとか思ってしまうと、それはアイツなんてという主語がすっかり抜け落ちて、すべてあなたがあなた自身に呪いをかけてしまっているわけだ。だから、当然それが実現していくことになる。そうあなたが強く望んだことが現実として眼の前に広がっていくからだ。失敗したあなたという存在を強く浮かび上がらせてしまうことで、あなたはますます惨めになるのはそういう仕組みなんだ。そうは言っても誰かの成功なんて素直に喜べないというのが本音なら、あなたは著しく自己肯定感を見失っている状態だ。一般的には自己肯定感が強すぎたり、プライドが高すぎるから他人の成功を素直に喜べないと言われているけれども、実は全く反対だということになる。
信心
あなたは常に大丈夫だという軸がしっかりとあれば、結局のところ誰かの大成功を心から喜ぶことができるはずだ。それは、あなたがそれを望んでいたものであり、その成功を目の当たりにできたのも奇跡だと気づくからだね。そこに恨みや妬みなんて生まれる余地など微塵にもない。ところが、あなたが不安定でまさにあなたのことをあなた自身が疑心暗鬼になっている状態だと、あなたがそれを真正面から受け止めることができないわけだ。もっといえばこの世にあなた以外の何者もいないと知れば、すべては自分ごととして見ることができるね。知らない人がどうなっているかまでは知ることすら難しい。けれども、世界の誰かが幸せのムーブメントを起こしたというのなら、あなたがそれを目の当たりにできることがあなたにとっては嬉しいことに間違いはない。だから、何事においてもそうやって疑念や嫉妬なんて必要ないね。特に良いことは自分ごととして心から喜んで良いんだよ。それがあなたがあなたを認めることができる、まさに信じる心なんだからね。