本当にそれが夢なの?

日々

思い出づくり

人生はすべて思い出となる。今あなたが浮かない顔をしているのもそうだし、かつての楽しい日々を思い出してほくそ笑んでいるのもそうだ。やりたいことが見つからないと焦っているのもそうだし、やりたくないことで忙殺されているのもそうだ。すべての意味はそのときではなく、それが過ぎ去ったあとにあなたが生み出している。いつかくる本番に向けてずっと練習しているつもりで過ごしているけれども、実はずっと本番だったというようなオチみたいなものだね。すべては二度と訪れない貴重な体験であり、仮にもう一度ちゃんとやろうとしたところで、やっぱりちょっと違うのもそういうことだ。すなわち、良いこと悪いことなんてこの世にはどこにも存在しない。あなたがそれをどう思うかということだけがそこにある。なら、なんでもない日常をもっと大切にして、すべては思い出となると気づいていると、あなたはずっと人生と真摯に対峙しているということになる。

夢と時間とお金

お金がないと嘆いている人が多いけれども、お金は単なる手段であって目的ではない。たくさんの手段を持っていると可能性が広がると思い込んでいるから、とりあえず夢や希望をさておいてお金だけに注目している日々を過ごしているね。もちろんそれは手段が増えるわけだから、可能性をそこに感じるのは自然だ。けれども、人生で一番つらいのはそこではないことにも気づくだろうか。それはやりたいことや夢がなくなってしまうことだね。時間とお金はたっぷりあるとして、それでもあなたはやりたいことがないから、それらを浪費して過ごすことぐらいしか楽しみがない。それらは本当にやりたいことではないので、いずれ飽きるだろう。そうなったときすべての希望はそこで断ち切られるわけだ。もはや生きながら死んでいる状態でもある。お金はないけれども時間があるならば、まだなんとかやりくりしたり知恵を使って試行錯誤することができる。時間がないけれどもお金がある状態では、やりたいことが何もできないからやっぱり無駄にお金を使うことぐらいしか楽しみがなくなるわけだ。

三つ巴

だから、人生の幸せは、夢と時間とお金があふれるときに訪れると思っているだろう。明確にやりたいことがあり、そのための時間もたっぷりあってお金の心配をすることもない。それは夢のような瞬間だとも言える。しかしながらそれは夢であって、現実ではないね。やりたいことはたいてい、お金があればできることだったり、時間があればできることだったりと不足しているからこそ生まれたものであることが多いからだ。でもそれは本当にやりたいことなんだろうか。あなたがこの世に生まれて本当にやりたいことを見つけた試しはないのではないかな。お金さえあればと、お金の不足を叶え、時間さえあればと時間の不足を叶えて続けてきたわけだからね。結局あなたは不足を埋めようとすることがやりたいことだと勘違いし続けて今に至るわけだ。本当にやりたいことはそんなレベルではないはずなのにね。さて、本当にあなたのやりたいことや夢はなんだろう。