目的と手段

日々

あなたの都合

あなたの思っていた通りになるということは、あなたの都合に他の誰かが合わせてくれたことのように見えるね。だから、あなたはあなたが中心だと勘違いして上機嫌でいるわけだ。冷静にそんなあなたを外側から見ているととても滑稽だろう。たまたまそうなっただけなのに、あなたはもはやあなたがすべてそうしたかのように勘違いしているからだ。あなたの都合に皆が合わせてくれるわけなんて、そんなにあるわけではない。けれども確かにかなり低い確率ではあるけれども、あなたの味方も必ずどこかにはいるはずだ。だからあなたの都合がすべて叶うという欲望を持つよりも、あなたの味方がこの地球上で必ずほんの少しだけいるということを信じているだけでいい。そうすることで、今日はほとんどあなたにそぐわない人たちが多かったように見えるかもしれないけれども、それもたまたまそうだっただけだと思えるようになる。すなわち、毎日が100点満点ではないことの方が自然であり、かといって0点がずっと続くわけでもないのが自然な状態でかつ正常なんだ。

自尊心

ところが、周りにあなたのことを気を遣っている人ばかりだとどんどんあなたは自然状態とは乖離していくわけだ。そしてそれがあなたにとっての正解となり、成功体験として蓄積してしまえばあとはどうなるかは火を見るより明らかだね。そんなずれた正解を握りしめてしまうと、その後はろくなことにはならないことはわかっているはずだ。だからたとえたまたまうまく行ったことを称賛されたとしても、本当のことを知っている人はそれを正解だとは捉えることはないわけだ。何も謙遜しているとか、遠慮しているとか、そういうことではないんだ。それは大いなる勘違いを生む原因だと思って、慎重に対峙しているだけであってそれで自己否定に陥ることもない。本当のところの自尊心とは、結果はどうであれ、さらにはその結果は日々変化していくものとして自らが決めたことをどこまで納得できるまでやり続けることができるのかという一点だけを見つめていることなんだ。

固執

かといって成功するまで方法も手順も変えずに、ただ最初に信じたことを頑なに守ることはかえって自己決定の意味を失ってしまうことが多い。それはよくある目的と手段があべこべになってしまう仕組みでもあるね。目的は幸せに生きること、すなわちあなたが決めたことをあなたが遂行することなんだ。けれどもその手段は状況の変化や周囲の意見によってコロコロと変化して良いものだし、むしろそうなることが自然だ。一度言ったことは撤回できないとか、それを翻すと責任感がなくなって信頼を失ってしまうとかよく言われる。それをよくよく分析してみれば、それはあなたが決めたことではなく周りがあなたに押し付けたものでしかない。天気がコロコロと変わるように、季節によって植物でさえ装いを変えるように、すべては生きながらえるための手段でしかないことを目的にしてしまえば、それは苦しくなるに違いないね。好きで始めた仕事がたまたまうまく行ったからと言って、副産物の売上を目標にしてはならないのはそういうことだ。楽しいことはあなたが決めた道をあなたが操縦して向かい続けることでしかないんだからね。