ナンシーとイクラちゃん
ナンシーちゃんに出会う
バイクは趣味の乗り物だと世間では言われているね。おそらく車と比べても利便性やどうせ乗るなら全天候型の移動手段の方が合理的だろうという価値観がそこには見え隠れするね。わざわざ荷物ひとつ積むのも工夫が必要だし、身を守ってくれるボディもないし、暑さ寒さを防ぐことが面倒な乗り物を選んでいるという奇異な目がそこにある。しかもたいていお値段は高い。コストパフォーマンスなんて度外視した計算できない存在として見ているのかな。物珍しいというかそういう視点をお持ちの方が少し前は多かったね。もう時代は進んでいるので、いくらか人々の意識は変わりつつあるのだろうけれど、それでもバイクに乗っていると、高速のサービスエリアなんかで、ある特定の世代の方からよく声をかけられる。まずぐるっと一回り眺めて、その後ナンバープレートをしげしげと見て一言。このバイクは「ナンシーシー」ってなぜか排気量を聞かれることがほとんど。人それぞれが好き勝手に乗っている乗り物のはずなんだけど、何よりもまず最初に聞きたいことが「ナンシーシー」なんだろうね。バイク乗り界隈では有名な話で、そういう方々を「ナンシーちゃん」と密かに呼んでいたりする。
イクラちゃんも登場
さらによく聞かれるのが、そのバイク「イクラ」なの?ってことだね。ナンシーちゃんとほとんどセットに出現する。これを世間では「イクラ」ちゃんと呼ぶ。なんて冗談だけど、それぐらい同じ価値観と行動パターンで反応があることにびっくりするよね。乗り物に対して「大きさ」と「値段」というモノサシは学校で習ったかのように共通しているんだ。思ったより安いとえ?となる反応も面白いし、思った通り高いとなると、あーやっぱりとなる。思ったより高いと「お金持ちの道楽」なんて羨ましいと言われる。かつての高度成長時代に多くの人の中の価値観が画一的なことをそこで再確認させられるね。と同時に、自分にもそういう側面にどっぷり染まっていることにも気付かされるね。
何でも値踏みする癖
バイクに限らずだけど、「大きさ」とか「お値段」とかが真っ先に気になる癖がある人が多いね。バイクも車も排気量が大きいと偉いっていうモノサシは、そもそも法律と制度によって刷り込まれている。ちょっと前は大型バイクといえばナナハンだった。今はそんな枠を超えているね。一昔前では二輪免許なんて車のおまけについてきた時代もあったらしい。それも日本という国の制度でしかない。制度が価値観の枠組みを生み出し、さらにお値段が高いものはいいモノという、これまたお金持ちは偉いという市場経済の仕組みからそうなっている。知らず知らずのうちに、何の悪気もなく、いつの間にか染まって、ついには人にまで及んでしまうとどうなるか。それは、今いろんな世の中のいいモノを見ればわかる気がするね。
自由になろうとして
所有するモノによって、能力とか大きさとか偉さとかと同一視するのは、モノに同化しているからだよね。大きくて高いモノを持っているだけで、乗り手の気分まで変わったりするのは面白いね。そういう特性があるってことは、いつも強くて大きくて高級とされるものに自分を重ねているんだろう。でもそれは小さな国のたまたま決められた古い枠組みに当てはめているだけ。それを知って枠を書き換えることで、本当に自由になれるんだから。バイクはそもそもコスパで測る乗り物じゃないって言われているからこそ、お気に入りがあればそれが最高なんだよね。枠があるから壊すことができる。自由になろうとして自由に縛られているのはおかしな話だし、自分もそう感じるっていうことはまだまだ縛られているんだってことを教えてくれている気がするよ。だからいつもその枠組みを教えてくれるナンシーとイクラちゃん、今日もありがとう。