本物は誰だ?
レガシー
もはや新聞やテレビなどのマスコミは旧メディアだと呼ばれ、それに変わってSNSをはじめとするネット社会が逆転し始めている。だからこそ気をつけないといけないのは、ネットが主流になるやいなやそれが第二のマスコミと化していくことだね。マスコミは大衆の民意をどうにでも操ることができたのと同様に、ネットも正義ぶった仮面をかぶりつつあなたの見たいものだけをレコメンドしてくるわけだ。もちろん広く浅くの情報を収集するツールとしてうまく使いこなせないと、これからの社会を生き残っていくのは難しいだろう。ますますこれからはネットリテラシーと呼ばれる教養が必要となる。学問における研究においては、誰かが言った二次資料よりもそれを引用した一次資料に必ず立ち返らないといけないという掟がある。すなわち、リプやリツイートを見て単純に判断するのではなく、一次資料をできるだけあたることが大切なのは、よく知っているように切り取りという行為によっていかようにでも印象操作が可能だからだ。
誰がため
資本主義社会の加速と、誰かの既得権益や利益のために喧伝するのがマスメディアの本質だった。テレビが無料なのは、スポンサーから利益を得ているからだね。スポンサーの不利益な情報をできるだけ排除するのもそのためだ。CMなんて当たり前のように毎日流れている。それを誰も見なければこのビジネスモデルは簡単に崩壊するわけだ。マスコミはある程度バイアスがかかってしまうのは無理がない。そこを割り引いて活用できる情報だけを取捨選択できる力が教養だった。そのために一般庶民は書物を手にしてきたわけだ。ところが、それもナンセンスだと思わせるぐらいの情報をネットが提供したわけだ。その勢力図はどんどんと書き換えられて今に至るわけだ。ネットがテレビを上回る時代がすぐそこだと言われて久しいけれども、いよいよその勢力図は書き換えられたと言って過言ではないだろう。でも冷静になってみれば、ネットも無料ビジネスだということは忘れないように注意しないといけないね。
可視化
これまではテレビに向かって文句を言う日常がそこかしこであった。それがネット社会になると可視化したわけだね。親父のつぶやきが文字となって世界を駆け巡る時代だ。それらの共感はさらに共感する層を増やし、自己増殖していく仕組みになっている。いわゆるエコーチェンバーと呼ばれる現象だね。リコメンドされた情報しか見ていないと、それ以外の反対意見や批評から無意識のうちに遠ざけられていることはとても危険だね。そのうち誰かのつぶやきに過剰に反応する正義のヒーローがあちこちに誕生することになる。そうしてそれらの正義がぶつかり合うとき、人類の歴史で幾度となく繰り返された悲惨な出来事を繰り返しているわけだ。もはや現代社会においての正義とは、無数に生み出すことができる幻想と同じだね。そんなときにどう生きるかといえば、あなたが無性に腹立たしいと感じたそれはまがい物であるということを忘れないようにすることだ。すなわちあなたもその渦中にいるという自覚が本当の正義となるわけだよ。