日々

どんな状況でもそうするしかなかったから、そうしたんだよ。それをあとからとやかく言われることもあるけど、気にしてもしかたがないね。それはとやかく言われることでそうするしかなったことを証明しているんだからね。そんなことよりもっと大切な心の向きは、あなたがそうしたからその輪郭が際立ったこと。そのおかげであなたが見えるんだよ。

日々

見知らぬ人は嫌いな人。知らない人には気をつけよう。知らないことには手を出さないようにしよう。わからないことはそのまま放っておこう。そうやって知らないことを忌み嫌うのはどうしてだろうね。何が起こるかわからないからきっとそう思うんだよね。何が起こるかわからないことはまだ見ぬ世界がそこにあるってことだよね。一緒に見てみない?

日々

ずっと健康で過ごしたいと多くの人が願っている。できればできるだけ長く健康を維持したいと思っている。それぐらい健康には多くの人の関心があるね。でも健康ってどういう状態なことなんだろうね。病気になってないから健康なのか、多少悪いところがあっても毎日楽しく暮らせていることが健康なのか、そこが一番大切な気がするんだけど、どう?

日々

いつもやるべきことをやろうとすると、何か障害が起こってそれを邪魔することが起きる。すると、あなたはそれを解決するために一人必死になってさらに慌てているね。そんな心の状態で何をやってもうまくいくわけがなく、さらにまた事を大きくしてしまってもうてんやわんやになって途方にくれている。そんなときは一度深呼吸して立ちどまろうね。

日々

まだまだ現役バリバリですよとあなたは言うけれど、もうあなたの市場価値はすでに下降気味だと告げられてひどく落ち込んでしまう。もはや人の価値も市場価値で測られるようになっているね。その最たる例が年齢だという。古いより新しいことが良いものとされ、古くなれば市場から退場を告げられてしまうね。古いと価値がなくなるわけないのにね。

日々

夕焼けの空は赤色というけれど、実際ずっと眺めているとどんどん色が変わっていくね。そしてそのグラデーションと雲が夕日を反射して光っている部分と影の部分と刻々と変化していく。もうすべてを言葉で表すことをあきらめたときに、その大自然と一体化した安心感が生まれるね。その瞬間にあれこれ分離する世界が溶けてなくなったからなんだよ。

日々

おしゃべりなんていう言葉は、どちらかというと信頼ならないという意味であまり好ましくない意味で使われることが多いのかな。でもおしゃべりは楽しいね。持ち合わせている能力を総動員してなんとか今の気持ちを相手に伝えられたら、それだけで幸せになれるね。心は見えないけれど、言葉の活動によってほんの少しだけその片鱗が見えたからだね。

日々

大き過ぎず、小さ過ぎず、軽過ぎず、重過ぎず、ちょうどいい形のバッグが欲しいと思っているそこのあなた。そんなバッグが欲しいと思ったのはどうしてか説明できるかな?そういうバッグを探し求める旅に出て、もうずいぶんいろんなバッグを手にしてきたけれど、毎回これで決まりと思ったのにまたこれじゃないと思い始めているね。なぜだろう?

日々

疑わしい言葉を探すとすぐに見つかるね。言葉は複数の意味をそもそも持っている。なぜなら、大きな一つものから区別するために切り取られて記号化されたものだからだね。その言葉を吟味して検証してしまうと、本来の意味から大きく外れてしまう。あなたも頭があって脳があると言うけれど、頭と脳という言葉の中にはあなたはどこにもいないね。

日々

うまくいかないとか、思った通りの結果が出なかったとか、こんなはずじゃなかったのにとか、何気なくそれを不幸の言葉として使ってしまっているね。でも、それをどうしてダメな言葉のように使うようになったの?ちょっと考えてみてよ。何が起こるかわからないのが楽しみの人生なのに、思い通りにいかないことががっかりだなんておかしくない?